馬鹿上等

馬鹿上等

2023.11.11 – 2023.11.24 東京・埼玉・神奈川

よい報告と、厳しいというか、きわどい報告がある。もちろん前者から記述する。

とうとう来週、単行本『紫式部本人による現代語訳「紫式部日記」』と文庫『女たち三百人の裏切りの書』が出る。いい本になった、どちらも。担当の、タさんとス君が最後まで粘ってくれたおかげである。ここでは軽やかさだとかビシッと直球に攻め込む感じとか、そういったことを〈本作り〉で意識した。自分としても、新しい本だなあと思う。古川日出男として新しいと思う。そして望んでいるのは、こういう新しさが、世界(とは自分のいる世界だ、日本の文学の、文芸の世界だ)に若干でも新しさを、瑞々しい息を吹き込めればな、ということ。

では厳しい後者のほう。『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』の最終回は、今月末に脱稿させる。が、「させる」との宣言を守れるかどうかが、見通せない。あと40枚前後なので、残る日数(6日だ)で、やれると言えばやれる。しかし、書き殴るようなことは私はしない。だから、推敲の分量を入れたらその数倍になるし、資料はまだまだ読まなければならないし、私は付け焼き刃的な知識を好まないから、それが消化されるのも待つ。となると、どうしたって残る日数では足らない。

しかも「寝ないでも書いて」仕上げるような原稿のクオリティでは、たぶん、このパンオペ(『京都という劇場で……』)は望んでいる終幕には至らない。だから、寝なければならない。つまり、あと6日マイナス6日ぶんの睡眠時間。

それでやれるのか、わからない。わからないが、まだ逃げない。

「締め切りどおりに本の原稿があがらないでも、いいじゃん」という声が聞こえる。たぶん幻聴ではないのだろう。しかし、私はちょっと救いがたい馬鹿だから、いまも信じているのだ。この本が、〈正しいエンディング〉に到達できれば、何かは少し変わるんじゃないか、と。古川の本など無意味だ、と言われれば、まったく反論できない。これまで何の価値もなかった、と言われても、返す言葉はない。でも、私はどうしようもない馬鹿だから、戦争も消えてなくならない現代社会に臨んで、やっぱり思っているのだ、まだ。

書きあげた時には、少しは、この世界(の一部の一部の一部の、一兆ぶんの一)は微動するんじゃないか。

そんな世界は、ないかもしれない、とあきらめることができたら、楽だろうに。

でも、私は馬鹿だから、倒れるまでは進む。今月。