馬鹿返上

馬鹿返上

2023.11.25 – 2023.12.08 東京・埼玉

地獄を通過した。

理性が告げるところでは「脱稿日には間に合わない」と言われていた連載作品『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』の最終回は、脱稿した。この作品は現代人がどれほど阿呆か、あるいはホモ・サピエンスがどれほど阿呆の道程を辿ってきた知的(?)生命体なのかを描こうとする巨大なドキュメンタリーでもあるから、地獄に堕ちる必要はあった。そういう巨大なドキュメンタリーは、ノンフィクションでありながらもフィクションをも内包してしまっていたから、覚悟を決める必要があった。厳しかった。たぶん11月の25日、26日までは、もう限界だと思っていた。

その後に何かが見えた。作品が告げていた。お前はお前のまま、やれ、と。

やってみろよ。人類のひとりとして、全責任を負ってみろよ。何が負える? お前は作家だろ? だったら、作家にしかできない〈命懸け〉をしてみろよ、とパンオペという作品が言っていた。

すると空気が変わった。

最後の4日間、たぶん私は幸福だったのだと思う。数時間おきに、「本当はここにたどりつくべき」というビジョンが、到来しつづけた。だから、ひたすらそこ(それら)をめざした。静かに生きた。静かに呼吸した。恐ろしいほど本だの映像だの音楽だの、街の風景だの、土地の音景だのを吸収しつづけた。

たぶん最後のシーンは、数百字ごとに泣きそうになりながら、書いていた。

飛躍は、できたと思う。作家として。あるいは古川日出男として。この作品は、来年1月頭に発売される「文藝」誌に最終回を載せる。来年の、どこかの段階で本にする。まず誕生日を超えることはない(と、ひとまず布石を打つ)。私の誕生日はセブンイレブンだ。

私は脱稿して、入稿して、じつはそこからほぼ4日間、休日をとりつづけた。だいぶ人と会った。美容室にも行けたしギャラリーにも複数行けた。ホームセンターにも行けたし雉鳩荘の庭に何時間も出ていて、庭へ遊びに来た猫と遊んだ(もしかしたら遊んでもらった。草木を縛るロープで、リアル〈猫じゃら〉した)。5人ぐらいで5時間ぐらい呑みつづけるということもできた。楽しかった。

その間に、来年3月に起動させる新作のスターターが揃いだし、来年6月に完成させる短い作品の核が(もしかしたら)把捉でき、その先の、もっと巨大な小説、その1行めを、雷撃に打たれるように書いた。書いてしまった。しかし、ここからどのように発展させるのかは不明だ。考えなければならないのは、どこで、どのように、具体的に形にするか、である。

そして4日休んだら、嘘みたいに仕事が溜まっていた。しかし、そのような状態でも、たとえば「MONKEY」誌に何年間も連載続行中の『百の耳の都市』の最新原稿が、これまでの展開部のフィニッシュを知らせて、その先からは〈新章〉に突入することを私に悟らせた。劇的に。えっ、と思った。感激した。

昨日(2023/12/07)角田光代さんとのイベントがあり、今晩もある演劇の公演後に登壇が予定されていて、来週にもマシュー・チョジックさんとのトークがある。そういうのは、とにかく、楽しんでやる。「ハンパねえな」と思うのは、読書時間の確保に関して、である。私は今年から織田作之助賞の審査員になったので、その候補作も読まねばならない(と言いながら、全候補作、すでに1回は通読して、2度読んであるのも2作ある。でも、とにかく全候補作を2度は読まないとだ)し、なにしろ朝日新聞の文芸時評用に、やたらめったら読んでいるのだが、毎月毎月「今月は豊饒だなあ」と言えるわけではない、という不安がいま、やたらめったら頭を過ぎっている。恐い。

そして来週、再来週は、東北・関西・東北と移動も予定している。さて。

どうなるか。

やるだけだな。