「好きなこと」のために

「好きなこと」のために

2023.12.09 – 2023.12.22 東京・埼玉・大阪

好きなことをやるために苦しむ、ということが当たり前にこの世にはある現実を、気づけない人と話すとたいへんに私は驚かされる。私はお金のことは考えるのもいやなので、お金のために何かをしたいと思わない。そのため、文学に人生をまるまる投入する、という「好きなこと」をやるために、どうにかお金を稼いでいる。というわけで、お金のために何かをしている。それは、もちろん、お金のためではないのだ。そのことがわからない人と話すと、愕然とさせられるし、なるたけ距離を置きたいなと思う。

やりたいことは〈表現〉だけだ、私は。前回のこの「現在地」にも書いたが、たとえば連載中の『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』を脱稿させるという先月後半の作業は、地獄に堕ちるに等しかったが、楽しかった。これは「苦しいが楽しい」の第1相である。じゃあ第2の相(フェーズ)はなんなのか、といったら、苦しんで苦しんで苦しんで執筆する数日間、というのを、保証してくれる金銭を、自分が稼いでいることである。1日に24時間、たとえば小説について考えなければならないとしたら、この24時間を、衣食住の面でサポートできるだけの金銭が〈いま、ここ〉に所有されていなければならない。だから、好きなことをやるためにお金が得られることも(事前に)やる。それは苦しい。これが「苦しいが楽しい」の第2相なのであって、そういう話をある初見の人に話したら「え? お金のことばかり考えてるんですか? 古川さんは」と言われた。めちゃめちゃ腹が立った。

この雉鳩荘に移る前に住んでいた街に、ちょっと長めの時間、戻れる機会が持てた。うれしい再会が多々あったのだが、悲しい現実も見た。相当な回数通った書店が、じき閉店するのだという。私はもちろん、大量に本を買い込んだのだけれども、いったい、この街はどうなってしまうのだろう。そして、本に出会える場所というのはどうなってしまうのだろう。そして、読者たちはどうなってしまうのだろう。作者たちはどうなってしまうのだろう。

そんな憂いがあるから、私は文芸時評であれ、あるいは自分が関わる文学賞の選考であれ、真摯に向き合っているのだ。まずは〈作者たち〉のことを考えている。まっとうな、よい小説を書いたのに、それが誰の目にも留まらないとか、誤解されているとか、そういう状況はけっこう皆、あるんだと思う。どこかで私は〈作者たち〉を励ませられればなあと願っていて、だから懸命に読んでいる。そして、私の「読み」が普通の〈読者たち〉の、鑑賞眼というか、リテラシーというか、リテラシーとまで言ってしまったらば上から目線だけれども、けれども、そういうのを刺激する機会になって、この〈読者たち〉の層が厚みを増せばなあと祈っている。そうしたら本はまだ、まだまだ出て、流通して、〈本の場所〉も新しい出現をするのではないか、と、これは夢だけを見ている。

そして、夢も見られないならば、それは死に等しいと思っている。

死んでしまった人と寝ているだけの人の違いがわかるかい? 寝ているだけの人はね、夢を、見られるんだ。

私は、この2023年が終わるに当たって、そのことだけをみんなに伝えたい。わざわざこんな「現在地」なんてウェブログを覗いて、この場所にかえってきてくれて、ありがとう。それじゃあ、よいお年を。