新世界はなにゆえ新世界というのか、と大阪で思う

新世界はなにゆえ新世界というのか、と大阪で思う

2024.02.24 – 2024.03.08 東京・埼玉・大阪・兵庫・京都

さて25周年も終わったのだから新世界である。この場合の〈新世界〉というのは単純に a new world ということで、私はいっきに生活の激変に入った。これは25周年が終わる少し前から、だけれども、まずマシンジムに通う暮らしを再開した。雉鳩荘に越す前日、それは2021年10月26日だったけれども、この時にジムに行ったのが最後の「ジム通いのわたし」だった。ちなみに夜の7時頃までジムにいて、その後に旧宅の大家さんと呑んで、それはお店を2軒ハシゴしたのだった……。いや、そんな思い出はどうでもよい。『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』にこの旧宅に関する追憶と秘話などが登場するので、ついつい意識がそちらへ飛んでしまった。さらに横道に逸れるとこの『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』すなわちパンオペは絶讃ゲラ作業中である。しかし今日の私は関西にいる。

あれだった。ジムを再開した、という話だった。目的はトレッドミルだったのだけれども、しかし筋トレのマシンもきちんとやることにした。というのも、通いはじめた2週め、いろいろと肉体面の点検を受けたらば、私の筋肉量は圧倒的に減っていたのだった。かつ、上半身と下半身、左半身と右半身がひじょうに均等に筋肉量が激減し、脂肪量が激増していたために、見た目には「バランスのよい肉体」であったのだった。もっともマズい状態である。というわけで、もうここからはずっと真面目に筋トレをするし、走り込む。ちなみにわずか半月で、昨年8月に脱臼して傷めた右肩の可動域が、なんと30センチもひろがった(!!!)。見てろよー、コノヤロー、そのうち「うわあ健康体のオーラに目が潰れますねん!」言わせてやるからなー。との意気込みである。そして、そもそも自分は走ることが好きなのであったという事実を思い出した。ジムにも通えないほど忙殺されている人生、など、死んだも同然の人生だぜ、と、この金言をもって堅実に今後は「楽しいライフ」を過ごすのである。どうだ新世界だろ。

そしてパンオペ単行本のゲラに没入し、新作(というのは、前回の「現在地」にも記したが計3作ある。このあたりは自分でもヤバいなと思う。でもね、書きたいんだよ)の準備に邁進し、そして取材にも励んでいる。大阪に来たのは織田作之助賞の贈呈式のためで、乗代雄介さんの『それは誠』にしっかりと誠に愛を込めて演説をするというミッションをこなして、後はダラダラと大阪ってこんなかーと思っていた。私はこれから年に2度、必ず大阪に来ることになっている。それにしても大阪には新世界がありますね。これはどちらかと言えば the New World という気がする。ザ・ニュー・ワールド・オオサカ。定冠詞が味噌である。

という軽いノリで今回の「現在地」を綴っているのだが、私の新しい執筆プロジェクト『あるこうまたあおう』の第1話が文芸誌「群像」に掲載された。この掲載誌を、関西で移動の途上にある私はまだ目にしていないのだけれども、たぶん、きっと、いいや絶対に、ちゃんと世にドロップされているはずである。この『あるこうまたあおう』は執筆プロジェクトだが劇烈なる行動プロジェクトでもあって、とにかくここから2年前後、私はしっかりやる。あと、織田作之助賞の贈呈式がらみで乗代雄介さん(生身)に触れて、この人もまた「あるこう」な作家だったことに感銘を受けた。

で、取材である。兵庫から京都へ、この取材は上記した作品群のすべてに関係する。どの取材が「あれ用なのか」というのはない。歩いているだけで、あの作品のための取材であったはずなのに、この作品のためのこんなものが! にぶち当たる。犬も歩けば棒に当たるが日出男も歩けば題材の宝庫にガツンガツン当たるわけである。基本的に作家というのは〈山師〉だと感じているのだけれども、いよいよ自分の鉱石探索力もいい感じにギラギラし出した。こうなったらついでに、出口のない〈現代社会〉のその出口も、わがダウジングの力で探り当ててみたい。あるのか、非常出口? 見つけられるように頑張ります。